そういえば3年前わたしは手紙を書くなどをしていて、こんなわたしの手紙でも待ってくれている人がいた。しかしそれはちょっと悲しいような形で突然終わってしまい、というか私がこれは駄目なことなんだろうなあとなんとなく察してやめたのだけれど、それ以来人にあんまり手紙を書かなくなった。
当時はその人にいろいろなことを伝えたく、紙とペンもっていると色々なことを素直にかけたから、伝えたいことというより消化しきれない何かを言葉に変えて、それを聞いてもらっていた。
いま思えばなぜその人だったんだろう?その人の前でわたしはあんまり喋るほうではなく、むしろだんまりとただそこにいて、まるで石のようだった。
でもその人はそういうことを許してくれるひとで、わたしにとってそれはいちばん心地よく、うれしく、やさしい時間だった。
メールでぶわっと何かを送るのはしっくりこなかったので手紙という形をとったのだけれども。
もう今じゃなんて書いたのか全然思い出せなくて、あそこに書かれてた言葉はあの時にしか有効じゃなかったのかもしれない。その行為も。
でもいまなぜだかおんなじようなことをしたくなってきている。ということは消化しきれない何かが芽生え始めちゃっているのかもしれない。それは全然わるい種ではなく、むしろ良い種。でも誰に伝えたいんだろう?こういうことをいま書いてることがちょっとずつ消化に繋がっているんだろうか。